【対談】IMSグループの求める医師像について

2006年、板橋中央総合病院に入職、そののち副院長の職へ

2006年、板橋中央総合病院に入職、そののち副院長の職へ

 2006年、42歳のときに板橋中央総合病院に入職した田和良行は、同年10月に消化器部長となり、2012年6月には副院長の職も兼任することとなった。
「副院長として、いま、いちばん大きな業務は、病院横断的な委員会の管理です。感染対策、医療安全、呼吸サポートなど10を超える委員会があり、これらが病院の安全性、信頼性、快適性などを支えています。数があるので忙しいですが、自分の診療科以外のところで非常に勉強になっていますね」
 入職時、いくつかあった選択肢からこの病院を選んだのは、大学の先輩がいて、「いっしょに教育をやらないか」との誘いを受けたのがきっかけ。以前から指導医の資格を持っており、消化器科の後進を育てることの必要性を感じていたことから、その提案を受けることにしたという。
「消化器科は非常におもしろい分野なんですけれど、とくに消化器外科となると、夜中も救急オペで呼ばれたりなど、なにかとハードなんですね。そのハードな仕事に一緒に取り組んでいってくれる後輩は自分たちで一生懸命育てなくてはいけないと思ったんです」
 ということで、田和は医師としての「10年勉強、10年第一線、10年教育」というライフ・サイクルを航行中だ。教育の場として東京を選んだのは、医師志望者の絶対数も多いということも理由だった。

ハードがあたりまえだった研修医時代

 山梨医科大学卒業後は同大学の大学院に入学、4年間にわたって臨床研修や研究に取り組むとともに、4年生のときからは大学の関連病院で研修をスタートした。
「当初は朝7時半から夜中の2時ごろまで仕事していました。1年間続きましたが、それが普通だと思っていましたね。やはり勉強の部分が大きくて、医療の専門誌を読んだり、学会の準備をしたり、やるべきことはいくらでもありました」
 その後は、板橋中央総合病院に入職する直前まで大学に所属、医局の人事によって、いくつもの病院に勤務した。
「そのころは、大学にそのまま残るのがあたりまえだったんです。医局から行けと言われた病院に行くわけです。マッチング制度なんてないし、インターネットもなかったから、どこで研修医を募集しているかなんてことすらわからない。大学に入った時点で、ある程度、運命は決まっているともいえました」
 それに対し、現代の医師志望者が研修医制度のもと、病院の特色を自分の目で確認して選ぶことができるのは幸せなことではないかと田和は言う。
「ただ、20代半ばでもう行く道を決めなければならないというのは、たいへんなことでもありますよね。選ぶということは自己責任であり、努力も必要です。自分のことをふり返れば、研修医としての業務のほかにも、学会の準備をしたり、急患があると輸血の準備を手伝ったり、時間があれば専門書や雑誌を読んだりと、やるべきことは数かぎりなくありました。制度が変わっても、そういう点は変わらないと思います。しっかり食らいついて、みずから主体的に考え、行動していかないと、一人前にはなれないでしょうね」

地元が地元を診るのは、あたりまえのこと

地元が地元を診るのは、あたりまえのこと 大学の関係で山梨の暮らしが長かったが、じつは東京の大塚の出身で、距離的にほど近い板橋には昔から地元意識があった。現在、板橋中央総合病院には自身の家族もかかり、地域医療の重要さは日々、実感している。
「地元が地元を診るのは、あたりまえだと思っています。山梨のときは、坂の下り口の三叉路に病院が一つずつあって、救急車はいったんそこで停まり、トリアージのような方法で搬送する病院を決めていました。「この重症の患者さんは大学病院へ」というようにね。だから、スムーズだったんですが、東京は良くも悪しくも病院が乱立していますから、それと同じようなわけにはいかない。そうなると、それぞれの責任意識も希薄になってしまいそうで、そこは気になるところですね」
 板橋中央総合病院では「救急車を断らない」を合言葉に救急外来にも力を入れるなど、地域密着医療を最優先としているが、その努力は地元の人々から一定の評価は得ているのではないかと田和は考える。
 その裏付けとなるかは不明だが、テレビ東京の人気番組『出没!アド街ック天国』で病院が「5位」に入ったのがうれしかったと田和は言う。番組で“板橋・志村坂上”が取り上げられた際、「志村坂上といえば?」という町の人々への質問に、多くの人が「板橋中央総合病院」と回答、堂々、トップテンの5位にランクインしたのである。
「ありがたいなぁと思いました。救急車がうるさいなどの理由で、病院が地元で嫌われることは少なくないんですね。でも、地元の人たちがうちの名前を挙げてくれたんですものね。たしかに、うちの病院には、歩いて通ってくるような地元の人が多い。これからもますます、地域密着を大事にしていかなければと思いますね」

望んで入職してくれる人がIMSグループにとってのよい医師となる

 小学校1年生ですでに「医者になりたい」と夢見ていた。そんな田和が懸念しているのが、学校の成績が良かったから医学部に入ったという若者が、最近、少なくないことだ。
「医者には、なりたい人がなるのがいい。なりたい人がなると情熱が入ります。また、医者とは人と向き合うことでもあり、単なる職業と考えるとうまくいきません。医者という仕事は、職業を通り過ぎたところにあるのだと思いますね。宿命であり、なったからには、人生を捧げるのが義務だとも思っています」
 同じように、IMSグループ入職にあたっても、心から入りたいと思ってくれた人が、グループにとっていい医師になるだろうと田和は言う。
 ちなみに、中途で入職してまもなく実感したのは、院内のバックアップ体制が充実しているということだったとか。
「たとえば、内視鏡の検査は時間通りに終わらないことが多いんですね。進めているうちに検査すべきことがさらに増えて、時計がどんどん回っていって‥‥。そんなときも、看護師や放射線技師はいやな顔一つせず、つきあってくれる。職種を越え、いろいろなスタッフが協力しあう土壌があります。だから、仕事にも集中しやすい。僕自身、この病院に来てよかったと心から思っている点の一つですね」

田和副院長のキャリアの軌跡

イムス三芳総合病院 2015 院長任命
  2012 副院長任命
板橋中央総合病院【入職】 2006 消化器部長任命
山梨厚生病院【入職】 2003  
韮崎市立病院【入職】 2000  
河北総合病院【入職】 1998  
山梨厚生病院【入職】 1997  
共立蒲原総合病院【入職】 1995  
武川病院【入職】 1993 博士号(医学)を取得
山梨医科大学大学院医学研究科【入学】
山梨医科大学医学部【卒業】
1989 4年間にわたり、C型肝炎、肝硬変、肝細胞がんなどの臨床研修・研究に取り組む
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